私の実家は長野県の信州中野という北信越の小さな街で工場を経営していた。当時製造していたものは大手音響メーカーの下請けでスピーカーのコア部品やウオークマンのイヤホンでMade In Japanで世界で売れまくった時代を支えていた。もちろん毎日が忙しくなかなか家族で遊びに行く暇も無くひたすら忙しい毎日だった。当時高度経済成長時代はこんな片田舎でも活気があった。誰もが忙しいのが当たり前で見るもの全てが日々新しくなっていた光景を思い出す。

私はそんな時代に働くおやじの背中を見て育った。だから当然のように将来は自分も社長になりたいと思っていた。やがて私は東京の大学に入りITを学びエンジニアになりたいという強い志で必死で勉強し、将来の事業イメージをつかめないまま卒業することになる。迷いながらも就活をし幸か不幸か国内超大手IT企業に合格してしまったのだ。
おやじにそのとき相談した。工場の後を継ぐか、サラリーマンになるか?
返ってきた答えは「石の上でも3年だ、サラリーマンで揉まれて来い」と、、、自分は必死に悩んでの相談にその答えだったことに煮え切らないまま決断したのを覚えている。

その後私は3年間必死に頑張って企業で働いた、その時に見える光景を思い描きながら。しかし、人間っておかしなもので当時仕事が楽しくてしょうがなく会社を辞めたく無いと思った。おやじの工場を継ぐことは考えられないと思ってしまったのだ。結局その後も東京でサラリーマンを続け、結婚してマンションを買ってバブルの時代を経験した。しかし、おやじの工場はバブルの余波を受けて畳むことになる。今思うと私は仕事を選ぶ岐路で安易な決断をしてしまったことに悔やんでも悔やみきれない。

その後もどうしても経営者になりたいという願望を捨てることができず、40代でMBAのスクールに入学することになる。 この機会を使って起業しようと思ったのだ。

やがて私は意を決して起業することになる、Netベンチャーを夢見て。 しかし起業はとにかく風当たりが強い、世間体も良くない。案の定最初のサービスは失敗である。
でも必死で考えられるあらゆるネットワークを使って持ちこたえた。
お陰で投資の機会を頂いたり、講師を依頼されたり、様々なチャンスを頂くことが出来た。

大学卒業した時の決断が20年以上経過した現在において大きな悔いとして残っている。言うなれば何事も意思決定は早い方が良い、楽な方を選ぶのでは無くチャレンジする方を選ぶべきだと思う。そしたら絶対に人生の悔いは残らないと思う。

そんなことで、今考えている新たなビジネスはこれだ、悔いを残さない社会の実現だ。
近い将来社会は起業家精神を持ったプロフェッショナルが活躍できる世界にシフトし、企業に所属するサラリーマンの割合が減ると考える。今の20代は既に起業志向に寄り始めている。企業は人材を社内から社外の人材、しかもクオリティの高いプロに求めることになる。それがプロジェクトという形で投資形成されると予想する。現在のクラウドソーシングのような低単価・低レベルの案件では無く、クオリティーの高いソリューションを作り出すプロジェクトへの投資だ。そしたらプロは更に自己の実現を歩むことが出来る。
このような社会になることで既存企業も変わっていくことになる。あと数年でこの世界は訪れる。

最後に企業の皆さんにお願いしたいのは、プロジェクト案件のオープン化を積極的に行って欲しい。
イノベーションは世界に転がっている!